西暦 年号 |
和暦 年号 |
旧暦月日 (新暦月日) |
回 |
才蔵の行動 |
ストーリー |
史実 |
1613 |
慶長18 |
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9 |
幸村の指令を待ちつつ、伊賀で鍛練、京で情報収集 |
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12月19日 (翌1月28日) |
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キリスト教がさらに厳しく禁じられる(宣教師、キリスト教徒を追放) |
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1614 |
慶長19 |
1月 (2月) |
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伊賀で修行中 |
京のキリスト教会が焼き払われる(総奉行:大久保忠隣) 大久保忠隣、改易 |
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大納言晴季に家康死去の噂の真意を確かめる(長寿祝いの情報を得る) |
家康が死んだという噂が広がる |
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3月 (4月) |
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幸村の指令が下る(家康暗殺) |
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松助に暗殺の道具製作を依頼 あざみに三河言葉修得を依頼 青子に旅立ちを報告 孫八から駿府城の絵図面を預かる |
お国、俊岳に才蔵らと旅に出ることを報告 |
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お国とともに駿府に向け出立 |
佐助、晴海入道出立(草津で才蔵らと合流) |
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4月 (5月) |
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伊賀に立ち寄り父の墓参 小若、松助惨殺さる |
方広寺の鐘完成 |
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5月 (6月) |
10 |
才蔵、お国、佐助、晴海、駿府へ旅中 名古屋(尾張の国)に入る |
青子、梅ケ枝とともに出奔 孫八、才蔵に青子の出奔を知らせるために京を発つ |
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藤川の宿(三河の国)で名人に三河万歳を習う |
獅子王院、お国に「才蔵らを二川の宿に導くように」 青子と梅ケ枝、無銭飲食「おじさ〜ん、はだかの女のひとが走ってるよ〜!」 |
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二川の宿(ききょうや)で獅子王院らの襲撃を受ける |
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11 |
辛うじて脱出、谷川へ落ち、流される お国と再会、山小屋で傷を癒す |
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5月23日 (6月29日) |
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佐助、晴海と再会 |
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金谷で暗殺の道具を回収(川止め) |
青子ら、知らず才蔵らと同宿に(そして関東まで…) |
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5月26日 (7月2日) |
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駿府に入る |
方広寺大仏殿の開眼供養の延期命令が発せられる |
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丸子山中の隠家で三河万歳の猛特訓 |
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6月はじめ (7月) |
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お国、駿府城に入る |
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6月14日 (7月20日) |
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孫八の絵図面を囲んで、佐助、雲雀、鳩など甲賀忍者と最終打合せ |
三河万歳の技を競う者を募る立て札が立つ |
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6月17日 (7月23日) |
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三河の万歳師に化けて駿府城に入る |
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6月18日 (7月24日) |
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家康暗殺に失敗
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板倉、宴の間を直前に変更 家康公長寿祝いの宴 |
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12 |
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駿府城下できびしい不審者の捜索が続く |
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6月19日 (7月25日) |
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再度、家康を狙う決意をする
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お国、お宿下がりと称して下城 孫八、家康暗殺の失敗は絵図面のせいではと才蔵に詰め寄る |
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青子を獅子王院の小屋から連れ出し、駿河屋(甲賀の草・仙左衛門)に預ける
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青子、獅子王院の隠家に身を寄せる |
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佐助、晴海は九度山に、青子と梅ケ枝は京に戻る お国と孫八は才蔵とともに残る |
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7月17日 (8月21日) |
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家康、梵鐘の銘文に対して難癖 (方広寺鐘銘事件) |
方広寺鐘銘事件 |
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7月19日 (8月23日) |
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深夜、家康の鷹狩の陣近くに忍び込むが雨で鷹狩が中止になったため、駿府城に潜入 |
孫八、駿府城の城壁に取り付く お国、獅子王院に責められ才蔵の行先と偽って孫八の居場所を教える 孫八、風魔の手に倒れる |
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7月20日 (8月24日) |
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孫八の墓に家康を討つことを誓う |
お国、孫八の死に責任を感じて才蔵の元を離れる |
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13 |
孫八の死にはげしく落ち込む 駿河屋・仙左衛門に情報収集を依頼し断られるが、隠家のみ借り受ける |
お国、行く宛もなく城下をさまよう 甲賀者ちゃぼ、才蔵の家康暗殺加担を申し出る |
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佐助、九度山の幸村に報告 |
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7月26日 (8月30日) |
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家康、方広寺大仏殿の開眼供養を延期するよう命じる |
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ちゃぼとともに再び仙左衛門に助力を頼むが断られる
三度、仙左衛門に助力を断られる 風魔の黒夜叉と対峙 |
お国、河原に建つ「くりゅう」踊りの人々の小屋のひとつで暮らす 獅子王院、赤犬をお国の見張りに残し、京に戻る |
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仙左衛門の助力を得て、才蔵ひとり奥平家に潜入 |
赤犬、黒夜叉に才蔵の素性を明かす |
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奥平家供侍に化け駿府城に潜入しようとするが、風魔に見破られお国に助けられる |
お国、赤犬を殺す 仙左衛門、晒し首となる お国、再び才蔵のそばを離れる「そういうやさしさは、かえってむごうございます」 |
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14 |
五感を絶つ修行に努める 風魔に隠家を襲われるが、お国とともに大凧で脱出 |
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8月29日 (10月2日) |
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大蔵卿局ら、駿府にて家康に面会 |
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獅子王院、菊亭屋敷に青子のご機嫌伺い(カステーラを勧められる) 獅子王院、板倉の命を受け、青子を連れ出す 獅子王院、無銭飲食をよそおう 青子、生まれて初めて裸足で土を踏む |
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お国、俊岳の密書とともに鳥居家の鑑札を受け取る |
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片桐且元、駿府から家康の内意を持ち帰る 大野修理、戦を決意するも牢人に頼ることを嫌い、 西国大名の入城を求める 隠岐殿、佐助に牢人たちに戦の準備をと伝えさせる |
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旅芸人(女装)に扮し、家康の動向をさぐる |
大野修理の依頼に西国大名応じず |
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9月14日頃 (10月16日) |
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大野修理、真田幸村に大坂城入城を請うため東田市之介を九度山に派遣 |
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9月18日 (10月20日) |
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片桐且元、大坂に戻り家康との和平を勧める |
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10月1日 (11月2日) |
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家康、豊臣家征討を命ず(大坂冬の陣開戦) |
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10月7日 (11月8日) |
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板倉勝重が淀川の船の通行を止め、米や塩の大坂への輸送を禁止 |
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幸村、九度山脱出 |
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10月9日 (11月10日) |
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幸村、大坂城入城 |
幸村、大坂城入城 |
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10月11日 (11月12日) |
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お国とともに駿府を発つ 田中城(亀の子城)に潜入、家康を仕留め犯行声明まで残すが影武者だった |
家康、駿府を発つ |
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獅子王院、雨宿りの小屋で青子に身の上を打ち明ける |
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名古屋へ向け、発つ |
お国、才蔵に名古屋で助力すると約す |
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名古屋で元甲賀忍者・佐平次の小屋に身を寄せる |
佐助、京の牢人に大坂城入城を促す 獅子王院、青子、名古屋に入る お国、鳥居家鑑札で名古屋城に入る |
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10月14日 (11月15日) |
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京都所司代から駿府の家康に牢人衆入城の報告「篭城した真田は親か子か?!」 |
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佐助から幸村の九度山脱出と青子の出奔を聞く |
お国、名古屋城で俊岳に目通りする |
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名古屋城に潜入、爆薬を仕掛ける |
青子、獅子王院の元を逃げ出す 獅子王院、青子を見つけだす「昨夜、そなたの名を呼んだ」 |
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10月17日 (11月18日) |
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家康、名古屋城に入る |
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10月18日 (11月19日) |
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家康の寝所を襲うが俊岳に阻まれる 名古屋城爆破失敗 |
お国、俊岳を斬りつける |
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10月19日 (11月20日) |
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家康暗殺をあきらめ、名古屋を出る |
獅子王院、街道に青子を置き去りにし、才蔵に引き会わせる |
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16 |
後藤又兵衛を鳥羽の船着場に送る |
耳次、菊千代に給金アップをせまる |
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10月23日 (11月24日) |
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家康、二条城に入城 |
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大坂城内にて大野修理、真田幸村、後藤又兵衛、戦の基本戦略を話し合う(宇治、瀬田へ兵を出すか籠城か) 幸村、大坂城の南の平野口に出城(真田丸)を築く |
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俊岳、お国を疑う 徳川方は約20万兵が臨戦体制にはいるが、豊臣方は未だ陣揃えも決まらず 修理、幸村を疑う 隠岐殿、真田丸を訪問 |
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妓楼・相州屋にて隠岐殿から江戸方の侍大将を斬るよう依頼される 真田丸を訪問、ゴロタ石の講話に感動 |
梅ケ枝、桂木が相州屋に引き抜かれる |
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影法師となり、京に集結する江戸方の侍大将を次々と抹殺し今様の短冊を残す |
獅子王院、相州屋を探る |
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見世物小屋の用心棒となり、身を隠す かぶきもの4人組を役人から助ける |
佐助ら、洛中や江戸方の陣中に潜り込み人心撹乱を謀る 獅子王院、かぶきもの4人組を使って相州屋を探らせる 真田丸に俊岳の妨害の手が入る ニセ影法師現れる |
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隠岐殿から俊岳暗殺を依頼 |
お国、俊岳に危機を知らせる 俊岳、相州屋襲撃を企てる(板倉は隠岐殿、才蔵の生け捕りを命じる) |
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獅子王院に分銅屋を襲撃され生け捕りとなる |
佐助と晴海、梅ケ枝らを連れ出し、興じる 隠岐殿、獅子王院に連れ去られる かぶきもの4人組、獅子王院に殺される |
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18 |
佐助とともに隠岐殿を探すが、容易に見つからず |
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11月10日 (12月10日) |
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秀忠軍6万人がが京に入る |
秀忠軍6万人が伏見城入城 |
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"市"を開き隠岐殿探索を依頼 隠岐殿が藤堂家の宿陣・建仁寺に捕われていることが判明 甲賀、伊賀忍者を集めて隠岐殿奪還を謀る(霞の陣) |
獅子王院、耳次(お雪)をそそのかし、分銅屋の情報を流させる 俊岳、建仁寺の牢内の隠岐殿に面会 |
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11月15日 (12月15日) |
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処刑(溺死)される隠岐殿を危機一髪で救出 耳次を斬る |
獅子王院、隠岐殿奪還を助けた伊賀者を殲滅し、耳次を使い分銅屋を爆破 徳川軍約10万、大坂へ |
家康、秀忠、大坂へ(大坂冬の陣開戦) |
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19 |
隠岐殿以下を足軽に化けさせて舟で大坂へ(青子を大坂の堺屋に匿う) |
お国、俊岳に別れを告げる 徳川方の様々な和平工作が行われる 家康が注文した大筒20門が完成、近々大坂に搬入予定(堺屋利兵衛の情報) |
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佐助、お国らと徳川方の大筒納入を阻止 |
俊岳は幸村を、板倉は堺の商人を見張るように獅子王院に命ず 獅子王院、俊岳から板倉に主人を乗り換える |
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12月4日 (翌1月3日) |
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真田丸の攻防 |
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12月中旬 (翌1月) |
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佐助らと忍術を使い、徳川軍(前田、松平、松倉、藤堂など)2万を真田丸に誘き寄せる(真田丸の攻防) |
大坂城(10万)が徳川20万の軍勢に包囲される |
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堺屋の青子の部屋で獅子王院と対峙 |
板倉「次の戦の為の和議」を画策 |
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大野修理、大蔵卿局に吠える
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徳川方の大筒が一斉に大坂城に打ち込まれ、一発が天守閣に命中 淀殿、和議を叫ぶ |
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12月16日 (翌1月15日) |
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徳川方の大砲が大坂城天守に命中 |
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20 |
お国と甘酒屋に化けて徳川軍を偵察(家康に意趣返しを画策) |
甲賀の里から佐助の援軍が真田丸に到着 治作(と信乃)、堺屋利兵衛に堺に呼び戻される |
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12月18日 (1月17日) |
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和議の会談(1回目)不成立 |
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12月19日 (1月18日) |
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和議成立(2回目の会談) |
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12月20日 (翌1月19日) |
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幸村、真田丸の兵8千と甲賀衆で茶臼山襲撃(家康生け捕り)を計画するも修理の許しが出ず断念 佐助、甲賀衆のみで襲撃を決行 獅子王院の逆襲を受け佐助を残して甲賀忍者全滅 |
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12月22日 (翌1月21日) |
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細工砲弾を作り、尾鷲村のフランキー砲で家康の陣に打ち込む 砲弾の中から六文銭の旗印が飛び出し、茶臼山にひるがえる |
茶臼山で大野修理、板倉勝重により和議調印 |
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12月21,22日 (翌1月 20,21日) |
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和議の誓書を取り交わす |
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大坂城外濠の埋め立てが始まる |
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21 |
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堺屋利兵衛、青子を獅子王院(板倉)に差し出す 青子は須磨へ連れ去られる 治作、堺屋利兵衛の元を離れる 俊岳、板倉に隠居を願い出る |
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大坂城のすべての濠が埋められる |
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