真田幸村の一歳違いの兄。関ヶ原の戦いで父・
昌幸、弟・幸村と袂を分かち東軍(徳川氏)につく。戦後、
家康に対して父と弟の助命嘆願をする。
大坂冬の陣の後も大坂に留まる幸村の元に、信之からの使者がやって来る。田宮佐古四郎と名乗るその男は実は
獅子王院。幸村を徳川軍に迎えたいという家康の意向を伝えるこの使者を幸村は疑い、いろいろとカマをかけるが、獅子王院は巧に交わす。しかし偽者と知りながら捕らえることもせず、悠然と構える幸村に獅子王院は刀を抜くことができなかった。(
#21)
1566-1658(享年93)。従五位下、伊豆守。母は山の手殿(寒松院)。幼名は源三郎、初名は信幸。大坂の陣後、上田から信濃松代に移封される。1656年、次子・信政に家督を譲り隠居。その2年後没。
戦国時代に徳川氏を散々苦しめた真田の家を存続させていくのは、並大抵のことではなかったはずだ。しかしこの人はそれをやり遂げ、真田家は幕末まで存続し、明治には子爵(のちに伯爵)家となる。嫡男でありながら、次男・幸村ばかりに陽が当たり注目を集めることはないが、この人もまた名将といえるだろう。