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2006/04/09
刷り込まれた記憶
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風神の門以降、というか、このウェブサイトを立ち上げて以降、時代劇および歴史物にハマっている。時代劇専門チャンネルの番組表を穴が開くほど見てしまうし、「その時 歴史が動いた」がいつのまにか録画予約されていたりする。
「日本厳窟王」も見たし「黄金の日日」も見た、「関ヶ原」も見た。先月は「御宿かわせみ 白萩屋敷の月」を見た。三浦浩一が目当てで見たのだが(冒頭にいきなり小田島隆が出てきてうれしい誤算もあり)、主人公の兄役の根津甚八と年上の幼友だち、若尾文子の忍ぶ恋が何ともいえずしっとりと魅せてくれた秀作だった。根津甚八は、この作品といい「黄金の日日」の石川五右衛門といい、その魅力を再発見させられるばかりだ。
今、こうして時代を経て再放送されているドラマや時代劇は、放送当時、ちらっとでも見ていたものが多い。
人の味覚に関する嗜好は十歳までに確立すると云われているが、こういった映像や文学など文化的嗜好が確立するのは十歳では少し早いだろう。もう五年くらい後になるか。
親の影響で、ローティーンまでの時期にわりと多くの時代劇や歴史物を見てきた。しかしその後自分の世界を確立しはじめると、興味は他に移った。それでも時々、机の中から出てくる絵はがきにあの頃の時代劇を思い出したりしていた。
そして今、風神の門の再放送で一気にそこへ戻ってきた。
十代の自分を振り返るというのは、なかなか恥ずかしいものである。なぜあんなことをしたのか、あんなものに熱狂していたのか。古い友人と会えば笑い話にもなるが、できれば触れられたくない、自分でも思い出したくない記憶である。
CS放送の番組表を見ながら、そういったものを見つけてフンと鼻で笑ったり、一人苦笑いを浮かべることもある。
しかしそうでないものもある。懐かしい記憶とともに蘇るものもあれば、もう一度見てみたいと思うものもある。風神の門はその一つだ。思い出してはまた見てみたいと思い、再放送を知って驚喜した。そして確かに期待は裏切られなかった。さらにその興奮はそれだけでは終わらなかった。
あの頃見ていた時代劇やドラマ、アニメなどを見てみようかという気持ちが起きてきたのだ。それまでは十代の苦い記憶として封印されていたものが、少しだけその蓋を開きはじめた。そしてそれらは、あの頃の感動や懐かしさ、新たな発見を与えてくれた。冒頭に挙げた作品以外にもたくさんある。実は「鬼平犯科帳」など池波正太郎作品にハマったのは最近のことだ。
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自分の中で、流行や興味が一回りしてここに戻ってきたような気がする。
そのきっかけがまさに風神の門だったのだ。そして今は、誰でもがインターネットで自分を発信できる時代。
──これが、『なぜ今「風神の門」なのか。』の答えだったのだと思う。
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→ 管理人宅で発掘されたNHKの販促絵はがき。
左上には番組名と“総合(水)後8:00”“霧隠才蔵=三浦浩一”、左下には“主題歌「時間差」=クリスタルキング”と書かれている。
表面には、宛先を書く上半分と手紙文を書く下半分を区切る中央に“─ようこそ見学コースへ。 ご意見・ご要望などをおよせください。─”の文字。
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