三河万歳の名人。藤川で頼み込まれて 才蔵らに三河万歳を披露した。才蔵はこの万歳をアレンジして 家康の長寿祝いの宴で演じ、家康暗殺を図った。

三河万歳は、室町時代に尾張国の熱田薬師寺の玄海法師が国家安泰・五穀豊穣を祈る舞として人々に伝えたといわれており、現在「無形民俗文化財」に指定されている。
徳川家康が江戸幕府を開いたのち江戸にも広がり、大いにもてはやされた。毎年新年には三河の万歳師が江戸城開門の儀式を勤めたほどだ。しかし専業の万歳師がいたわけではなく、農民の農閑期の出稼ぎの技だった。江戸時代には各地に出かけていき祝儀を稼いだ。三河万歳師は帯刀を許され通行手形も不要だった。万歳は各地で興っていたが、三河万歳は天下人の発祥の地の芸能としてかなり優遇されていたようだ。
三河万歳の伝統的な演目には「三羽鶴の舞」「七草の舞」「天の岩戸開きの舞」があり、その他に三味線、鼓、胡弓の3つの楽器を使う「三曲万歳」と「御殿万歳」がある。才蔵と佐助が演じたのは「御殿万歳」。御殿万歳は、中啓(ちゅうけい/扇の一種)を持った「太夫」と鼓を持った「才蔵」のコンビで舞い、才蔵の鼓に合わせて太夫が祝言を述べて舞ったり、言葉の言い立てや掛け合いを行う。家々の門前で舞うのを「門付け(かどつけ)」、座敷に上がって舞うのを「檀那場(だんなば)」という。
名人を演じた北川幸太郎は、実は「尾張万歳」家元。なんと国指定重要無形民俗文化財というすごい方。第11回では万歳指導を担当している。尾張万歳は、鎌倉時代に寺の雑役をしていた村人に法華経をわかりやすく、歌えるものとして教えたのがはじまりといわれている。その後の流れは三河万歳と同じで、農民の農閑期の収入源として栄えた。「法華経万歳」をはじめとした宗教的・儀式的色彩が強い「五万歳」といわれる5つの伝統的な演目と、娯楽的な要素を持った「三曲万歳」や「御殿万歳」などがある。御殿万歳はもともとは尾張万歳から三河万歳に取り込まれたものらしく、劇中、名人が舞ってくれたのは御殿万歳の一部「七福神の舞」。七福神を面白おかしく述べたてて幸福を祈る万歳。「すんにゃり、ぐんにゃり」とは弁財天の女らしいしぐさを指しているらしい。才蔵たちはこの「七福神の舞」を含む御殿万歳を、徳川家を讃え豊臣家を貶める舞にアレンジしたのだろう。
花井勝己は資料がまだあまり見つかっていないが、北川幸太郎の合方の名に「花井稔治」という名前がよく出てくる。もしかしたら親族(先代?)であろうか。内田あい子は万歳師の女房役だが、北川と同様、第11回で方言指導を担当している。専門家がそのまま農民の女房役で出演したのか。言葉を教える手間がなくていいかも。
|