登場人物
「風神の門」の登場人物紹介です。「蛇足」はヒマな方は読んでください(笑)
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大納言晴季 だいなごん-はるすえ
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#1,2,3,4,5,6,8,9,23
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74-77
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天文8年(1539年)-元和3年3月28日(1617年5月3日)
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79
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岩井半四郎 いわい-はんしろう
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52
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昭和2年(1927年)8月8日
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青子の父。公卿。慶長8年(1603年)まで右大臣を務めた。公卿の最長老であり、 豊臣氏と懇意な間柄にあった晴季は、政の実権が 徳川氏に移り苦しい立場に立たされる。徳川氏は 京都所司代を通じて、青子を江戸へ 上臈として差し出すよう迫り、豊臣氏は 隠岐殿を派遣し、大坂に味方するように迫っていた。公家をめぐる東西の暗躍に頭をいためた晴季は、 才蔵の申し出を受け青子を才蔵に委ねる。しかし 獅子王院によって青子は徳川方に拉致され、大坂の陣で豊臣氏は滅亡する。晴季は、すべてを承知した青子を下向させる。
今出川晴季。今出川家第10代当主。今出川家は琵琶を家職とした。居所から今出川、菊花を愛したことから菊亭と称されたという。
豊臣秀吉を関白太政大臣にするために周旋した。秀吉は織田信長亡き後の政権を握るため、織田氏に負けない身分がほしかった。そのため、前将軍足利義昭の猶子(養子)となり征夷大将軍の位を請うたが、義昭に拒絶され為す術を失っていた。同じ頃朝廷では、二条昭実と近衛信尹(のぶただ)が関白太政大臣の位を争っていた。この機に乗した晴季は、前関白の近衛前久(さきひさ)に図り、秀吉を前久の猶子とさせ関白職を譲らせた。この同じ年(天正13年/1585年)、晴季は従一位に叙せられる。
ところが、文禄4年(1595年)に秀吉の甥であり関白職にあった豊臣秀次が失脚すると、娘を秀次に嫁していた晴季も連座し、越後に流罪となってしまう。しかし翌慶長元年には赦されて帰京。秀吉没後の慶長3年(1598年)に右大臣に還補された。慶長8年(1603年)右大臣を辞任。大坂の陣の2年後の元和3年(1617年)薨去する。
劇中では、娘にアマアマな父として描かれており、地位を狙って暗躍するタイプには見えないが、まだまだ朝廷内では実力者であったようだ。秀吉に肩入れしすぎたために少なからず後の人生を翻弄されてしまった。聖徳太子の昔から、朝廷(公家)と豪族(武家)とはお互いに利用し合ってきた。権力の移り変わりは早く、常にレーダーを張り巡らせておかなければあっという間に隆盛を失う。それは武家だけでなく、公家も同じであったようだ。
真田信之、幸村の母・山の手殿(寒松院)は晴季の娘という説がある。
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萩野 はぎの 架空
#2,3,8,17
折原啓子 おりはら-けいこ (大正14年(1925年)1月1日-昭和60年(1985年)11月24日/当時55才)
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